4/21に予定されていた「鶴ヶ城さくらまつり」の本宮が急遽中止となりました。
前日夕刻の宵宮は予定通りですが、本宮は人出が多くて危ないとのことでお城に入場制限がかかったためです。八重効果で人がたくさん来てくれるのはありがたいですが、交通事情がなんともお粗末な市ですので仕方がないのかも知れませんなぁ。
こんな時に若松に来て渋滞に巻き込まれてもう二度と会津に来たくないと思う人が出てくるのではなかろうかと心配になります。
どうか静かな時にでも来て混雑していない会津をゆっくりと愛でてほしいものです。
昭和30年代の花見の様子です。
ここは本丸の北側の石垣の上でしょう。下にはお店もあり楽しそうですね。
そう言えば、昔は屋台でなく常設のお店が本丸外に二軒ありましたよね。北側の神社の向かいと、西側の神社の前にお店があり味噌おでんなんかを食べた記憶があります。
それと西出丸を出た旧若女の角にボート屋さんがあり、お堀でボートを楽しんだことを思い出しました。
これら三軒とも住所が城内であったために立ち退きさせられた覚えがあります。
どんないきさつがあったんでしょうね。ちょっと気になります。
っていうか、戊辰戦争で負けてしまった会津藩の後の土地争いはどんなものだったのでしょうね。明治政府もまだ機能していない混乱の時代に自分の土地だといって勝手に作っていったような気がしてなりません。
とくに会津の敗走を聞きつけ新潟や他の地方からいろんな商人が入り込みどんどん自分の土地を増やしていったと古老から聞いています。
そりゃそうでしょう。混乱していて統治機構が動いていない時なのですから力の強い者が勝手に入り込んでしまうのは目に見えています。
武家屋敷の後などはどのようにして一般ピープルに分けたのでしょうね。すごく疑問です。
あっ、私の実家は武家屋敷の場所にありますが、祖父が銀行から借金して買った土地だと聞いています。誰から買ったのか、その前の持ち主も聞いておくんだった。
まぁ土地は買っても使用料のような税金を毎年払っているので、公地公民がずーっと続いているような気がしますけどね。
話が飛び飛びになって申し訳ない。
今言いたいことは
「会津若松市は古い町並みを観光客に楽しんでもらえるような車社会に対応できる街にしてください」
そうでないと八重人気が終わったらまた観光客が来なくなるような気がします。